成人の日に寄せる”翻訳家になりたいあなたへ”
この記事が公開される次の日、1月9日は成人の日です。成人式に行く人も行かない人も、何なら成人式でこれを読んでいる人も、改めておめでとうございます。ちなみに僕は成人式には参加していませんでした。交友関係がそこまで広くなかったからです。
さて、日本人の平均寿命や健康寿命が延びていることから、二十歳といってもまだまだ人生においては序盤とも言える年齢ですが、多くの人にとって、この年齢を境に「働く」ということが人生で現実味を増してくるのではないかと思います。あるいは既に働くことが日常になっている人にとっても、「思えばもう結構この仕事をしているのだな」と振り返るタイミングかもしれません。
このため、現在十代後半から二十歳前後という人を対象に、「翻訳の仕事がやりたいなあ」という方向けのメモを残しておきます。「将来は翻訳家になりたいかも」と思っている人は、ぜひご参照ください。
翻訳家の収入について
翻訳家になりたいと思うとき、多くの人は「英語が好きだから」や「翻訳家ってかっこよさそうだから」というようなところが出発点になります。このこと自体は間違っていません。むしろ、「翻訳家」という仕事に憧れてもらえるというのは、翻訳家として嬉しいことです。
しかし、職業、引いてはお金を稼ぐ手段というのは、現代社会において暮らしの根幹となるものです。つまり、ある職業に就くとき、その職業でどれだけの収入を得られるのかはとても重要で、決して軽視するべきポイントではありません。では、翻訳家の年収はどれくらいなのでしょうか。
採用するデータの媒体にもよりますが、おおよそ共通しているのは400万〜500万くらいが平均的な数値になるということです。年収500万円前後と聞いたとき、あなたはどう感じるでしょうか。
ここで、年代別の平均年収と比較してみましょう。
dodaによる2022年の平均年収を年代別に見ると「20代」が342万円、「30代」が435万円、「40代」が495万円、「50代以上」が596万円となっており、全体では「300~400万円未満」が多いとされているため、翻訳家は20代では平均よりも高く、30〜40代では平均的な収入になり、50代以上になると平均よりも収入が低いとデータから言うことができます。
ただし、翻訳家のこの平均的な年収というのは、「副業で仕事をしている人」や「フリーランスで仕事をしている人」、「専業で仕事をしている人」、「会社に雇われている人」がごちゃ混ぜになっています。例えば副業で仕事をしている人は税金の控除対象から外れないように年収が100万円程度になるように仕事をしているかもしれませんし、フリーランスで稼いでいるという人には年収が1000万円をコンスタントに超えているという人もいるでしょう(フリーランスとして仕事をしている堂本については、ここ数年はおよそ800万〜1200万程度で推移しています)。
このことは、翻訳家といってもその収入はばらばらで、どれくらい稼げるかというのは場合によるということを表しています。ただし、求人ボックスの2022年1月現在の内容によれば、正社員としての翻訳家の年収は457万円であるとされており、例えば翻訳会社に就職したり、企業における社内翻訳者として正社員と同等の雇用契約を結んだりした場合には、これくらいの年収を得られる可能性が高いと言えそうです。
翻訳家の年収は割りに合うか
このブログや堂本のYouTubeチャンネルでも何度かお伝えしていることですが、翻訳家という仕事に求められるのは英語力だけではない上、そこに基本として求められる英語力は非常に高いレベルでもあります。TOEICが何点あれば良いかとか、英検はどれくらいあれば良いかというような、”閾値”を考える段階の話ではないのです。英語力は高ければ高いほど良いし、英語力がいくら高くてもそれに伴った日本語力や調査力、専門知識などがなければ翻訳家になっても長続きはしません。加えてフリーランスで仕事をするなら、自ら営業をしたりブランディングをしたりしていくことも重要になるでしょう。外注しないなら会計を付けることも必要です。
こうした専門性として突き抜けるだけの英語力を身につけたり、それに応じて派生的な能力を身につけたりしなければいけないことを考えると、翻訳家としてある程度安定して活動していくにはそれなりの時間の勉強が必要ということになります。その対価として得られる収入が平均で年収500万前後というのは安いのではないか、と堂本は常々感じています。
もちろんこれには多くの要因があります。例えば、機械翻訳の精度と流暢さが高まってきたことは大いに関係があるでしょう(この相関性については、本来機械翻訳によって一定レベルの翻訳家が淘汰されたとしても、そうでない翻訳家が持つ価値は相対的に上がることはあっても下がることはないはずですが、市場の感情としては理解できます)。また、クラウドソーシングなどによって翻訳者として仕事を受注しやすくなったことで、翻訳業界の相場と無関係に金額が設定されたことを受け、一部のプラットフォームでは翻訳のサービスが安く売買されている面もあるでしょう(これはサービスを提供する側の値付けの問題です)。
ほか、翻訳という仕事はキャリアパスとして次の段階が見えにくいところがあります。そのため、例えば社内翻訳者として内定を得たとしても、それがどのような出世コースに乗っているのかは分かりにくいのが現状のように思います。恐らく、50代の平均年収と翻訳家の平均年収の差はここにあるのではないか、と個人的には睨んでいます。
一方、(翻訳家に限ったことではないですが)フリーランスとして活動する場合、その値付けは自分で決めることができます。自分が提供できる価値と比肩していると信じられる値付けであり、クライアント(あるいはコンシューマ)がそれに合意すれば(そしてその後実際に満足すれば)、提供しているものがどんな値段であったとしても基本的には問題ありません。
もちろん、継続的に仕事を得ることができるかどうかというようなことや、フリーランスとして仕事を得る場合の競合との差別化については考える必要があります。今月は月収が100万円だったという月があったとしても、次の月は5万円しかないかもしれない、というのがフリーランスという働き方であり、その脆さとも言えます。今風の言い方をするなら、「リスク」ということになるでしょう。
つまり翻訳家という仕事は、正社員として行う場合には30代か40代くらいで同世代よりも「稼ぎにくい」仕事になる一方、フリーランスとして行う場合には自分の能力と裁量の範囲でどれだけでも稼ぐことができる仕事であると言えます。
翻訳という仕事はなくなるのか
機械翻訳が台頭してきたことにより、翻訳(あるいは通訳)という仕事がなくなるのではないか、ということはずっと言われてきています。しかし堂本が知る限り、「機械翻訳によって翻訳業は廃業するだろう」と言っているのは、翻訳家でなければ機械翻訳の専門家でもない、門外漢の人たちばかりです。翻訳家も機械翻訳の専門家も、「機械翻訳で翻訳業界が終わる」とは言っていません。現在は「機械翻訳をどう使うのが翻訳業界にとって良いか」を議論するフェーズで、これについては「全く使えない」とする人や「限定的なら使える」とする人、「積極的に使っていけば良い」とする人など様々でコンセンサスは得られていないような印象があります。
もちろん、ある仕事が生き残るのは市場に需要が認められるからです。つまり、翻訳業界や機械翻訳業界が声を揃えて「機械翻訳だけでは翻訳業界は成り立たない」と言ったとしても、市場参加者の大半が「面倒だから全部機械翻訳にしたい」と思ったなら、翻訳という仕事はなくなってしまうでしょう。しかも、その損失に気付けるのは翻訳者や機械翻訳の専門家だけでもあります。こういったことから、慎重に市場を啓蒙していくことが重要であると個人的にも考えています。
とは言え、現状は機械翻訳だけですべてが成り立つわけではないというのが大多数の意見であり、翻訳という仕事への価値はまだ失われていません。これに関連して、機械翻訳を使えば充分な翻訳業務と、人間が行うべき翻訳業務の棲み分けが待たれます。後者のような業務としては、例えばキャッチコピーの翻訳や広告の翻訳、ゲームの翻訳、小説の翻訳、会社のミッションを伝えるための翻訳、ランディングページの翻訳、ホームページの翻訳、SEOを取り入れた上での翻訳など、「意味を伝える」以上のことを求めるような翻訳全般であると言えます。
一方、機械翻訳を翻訳業務の中に取り入れる動きもあります。例えば機械翻訳でおおよそを翻訳してから軽く手直しをするというようなやり方です。これについても機械翻訳の誤訳を見つけられるような英語力が必要になるため、「従来の翻訳家と比べて英語力が低くても良い」ということには決してなりませんが、新たな翻訳のやり方や形として徐々に認められるようになっていくでしょう。これもひとつの翻訳の生き残りの形になると思います。
どうやって翻訳家になるか
翻訳家になる道は主にふたつあり、ひとつは翻訳会社や一般企業の社内翻訳者として就職するというものです。
この場合のメリットは、業務を通じて翻訳について学ぶことができるであろうと期待できることです。先輩や同僚から指導を受けたりできるでしょうし、まともな企業なら新卒で入ってきた人に「絶対にミスが許されない翻訳」をいきなり割り当てることはしないでしょう(必ず、何らかのバックアップ策を講じているはずです)。
デメリットとしては、少なくともデータで見る社内翻訳者としての年収は500万円程度が天井となっていることです。これはもちろん年収として少ないわけではありませんが、自分がイメージしている人生設計において年収500万円が足りているかどうかを考えることは重要と言えるでしょう。
また、そうした通常の就職においては大卒資格が必要ということもあります。そのため、まずは大学を卒業することを前提とすることにもなるでしょう。
もうひとつはフリーランスとして仕事をするということです。これには翻訳会社に登録して仕事を振ってもらうというやり方と、自らクラウドソーシングなどを介して仕事を得ていくというやり方があります。
この場合のメリットは自分で自由に仕事の時間や報酬額を決めることができるということ、デメリットはその裏返しとして仕事を得るのも収入を管理するのもすべて自分の責任になるということです。そしてもちろん、クライアントに満足してもらうのも、あるいはクライアントからのクレームも、すべて自分が受け止めなければいけません。中途半端な仕事をしていれば、仕事を継続的に受注することは難しいでしょう。そういった緊張感があります。
翻訳の仕事をキャリアのどこに置くか
これまで見てきた通り、翻訳業界の機運は非常に流動的かつケースバイケースの事象も多いと言えます。
また、翻訳家になれるだけの英語力があるなら、その英語力は別の分野でも通用することでしょう。そしてその分野は、翻訳業界よりも稼ぎが良い業界かもしれません。
こうしたことから、現状の業界を鑑みると「翻訳家」という仕事を最初から目指す必要はないのではないかとも思っています。前述したように、フリーランスとして翻訳家になることは、キャリアのどの瞬間からでもできます。例えば最初は技術職に就職して、そこからその専門における英語の文献を翻訳するような翻訳者として転向することもできるのです。あるいは「とりあえず」で就職した仕事が思ったよりも自分に向いていると分かったなら、そのままそのキャリアを進んでいくこともできるでしょう。
逆に翻訳をフリーランスとして受注し始めたときにそちらの方が向いていると思ったなら、それをメインの仕事にすればOKです。もちろん、本業とは別に副業として翻訳の仕事を細々と続けるといった働き方をするのも良いでしょう。
まずは英語力を活かして手堅い仕事に就く。それから翻訳の仕事に興味があれば仕事で身につけた専門性と英語力を活かしてやってみる。あるいは専門性に関係ない、全く別の分野で翻訳をするのも楽しいでしょう。これなら、キャリアにおいて致命的な失敗はしにくいのではないかと思います。
もちろん、「翻訳家になりたい」ということで最初から翻訳家になることが”間違っている”わけではありません。しかし昨今の情勢を見るに、よりリスクが少ない選び方をすることもできることは念頭に置いておいても良いはずです。
翻訳家になるために何を学ぶか
翻訳家になるためには何を勉強すれば良いのか、ということはよく言われるのですが、これはなかなか難しい問題です。言うなれば、翻訳家になる上ではあらゆることが勉強の対象になるからです。
例えば映画を100本観て表現をメモしていくのが仕事で活きることもあるでしょうし、アニメを観ていて「これを英語で言うならどうするかな」と考えることが仕事で活きることもあるでしょう。それ以外にも「こういう場面ではこういう言い方をするよな」であったり、「この言い方にはこういうニュアンスが含まれるような」であったり、日常のあらゆることが言葉を扱う専門家としての糧になるのです。その引き出しをどれだけ持っていて、個々の引き出しはどれくらいのものが入っているか、その引き出しを適切に開け閉めできるか、ということが翻訳において重要な能力であると言えるでしょう。
それを前提とした上で、もちろん英語と日本語(あるいはそれ以外の言語)における言語としてのそれぞれに対する正確な理解は必要です。文法や語法については人一倍敏感でなければいけません。ただ、これは文法書を読んだり、英検などの試験を受ける過程で学んだりすることができるので、独学も充分に可能と思います。
では、例えば大学生は翻訳家になるために何を学べば良いのか。これは、前述したような「専門性」です。大学以外の場所で学ぼうとすると大変なことを、せっかくの機会だと思って学んでおきましょう。将来、その専門性で翻訳ができるようになるかもしれません。
また、友人や家族との日常的な会話の中で「今のは英語でどう言えば良いか」と考えたり、日常の中に英語を使う場面を積極的に取り入れたりしていきましょう。例えばそれは洋書を読むことかもしれませんし、TOEICで満点を目指すことかもしれません。
そうした日々を数年に渡って続けることは、並大抵の人にできることではありません。その中で培われた英語力や専門性は、仮に就職時に翻訳への興味が失われてしまっていたとしてもきっと役に立つはずです。