文化庁の『言葉の疑問解決室』について思うことなど
先日、文化庁は「言葉の疑問解決室」というウェブサイトを立ち上げ、一般的な理解と異なる意味で使われがちな言葉や、漢字の使用上の間違いについて解説する予定であると発表しました。しかし、このサイトに対しては懸念の声も上がっています。
果たして、どのような点が懸念となっているのでしょうか。個人的に思う主な問題点はふたつあります。
1. 言葉の使い方に「正しい」や「間違っている」という概念が存在するのか、そして、もしそうなら、どのようにその線引きをするのか?
2. この難しい線引きを権威ある文化庁が行うことの影響は過大ではないか?
以上を踏まえて、個人的に『言葉の使い方』や『誤用』といったことについて考えをまとめておきます。ちなみにこの内容はYouTubeにも動画をアップロードしていますので、合わせてご確認頂ければ幸いです。
言葉の「正しい」使い方には線引きが可能か?
広辞苑の第6版によると、「誤用」とは「あやまって用いること、用法をあやまること」であるとされています。では、「言葉の用法」とは何かでしょうか。
個人的には、「伝えたいメッセージに対応する言葉を選び、適切な順序で用いること」と定義できるのではないかと思います。しかし、この過程は主観的であり、発話者が選んだ言葉が必ずしも受け手にとって適切とは限りません。伝わると思って選んだ言葉が上手く伝わらないのは珍しいことではないでしょう。
誤用とはどういうものか?
では、誤用とはどういうものでしょうか。誤用と感じるのは、ある単語に対する『一般的なイメージや意味』が、発話者の意図するものと異なる場合です。
そしてこの『一般的なイメージや意味』とは、その言葉を使ったり聞いたりする人の経験や知識に依存しています。つまり、いわゆる『単語の意味』とは固定的なものではなく、使う人や聞く人にとって認識が異なることもある、流動的なものなのです。
文化庁の役割と言葉の多様性
文化庁が言葉の正誤について発言することは、言葉の自然な変遷や多様性に対立する可能性があります。特に、言葉の「正しい」使用法を厳格に規定することは、言葉の自由な発展を制限するかもしれません。
このように、言葉に「正しい」や「間違っている」という概念を当てはめることは難しく、時には不適切かもしれません。文化庁のような権威ある機関が言葉の使用に関して方針を示すことは有益ですが、言葉の自然な進化や多様性を尊重することは重要視されるべきでしょう。言葉はコミュニケーションのための道具であり、その使い方は常に変わるものなのです。