ChatGPTによって人材の価値はどう変わるか
以前にYouTubeでChatGPTを用いて英語学習をするにはどうしたら良いかという動画と、ChatGPTを英語業務に用いることはどれくらい有用そうかということについて話した動画が公開されました。
最初はさほど伸びなかったのですが、ChatGPTのトレンドの息が長いこともあり、地味ながら安定して再生数が伸び始めたので、動画ではなく文字を読みたいというニーズと自分の改めての思考整理を兼ねて、ChatGPTを活用する上での今後の予想を述べておきます。何年かした後に見直したとき、預言者になっていることを目指します。
ChatGPTによって英語の業務はどうなるか
これについては、特にDeepLなどが登場したときと同じで、「使いこなせる人にとっては有用なツールであり、そうでない人にとっては不安定なツール」ということになるかと思います。
機械翻訳の精度(というよりも流暢度)が高まったことは間違いありませんが、それでも90%程度の確率で間違いを犯すとされており、この精度が100%になることはありません。この点については翻訳家はもちろん、機械翻訳の専門家も大半は同意見となっています。
この「機械翻訳の精度は90%である」という命題は、次のように二通りに言い換えることもできます。「誰でも精度90%程度で英文を理解したり英文を作成したりできる」ということと、「精度90%ではいけない業務には人の手が不可欠である」ということです。
誰でも精度90%の翻訳(あるいはそれを翻訳と呼ぶのなら)ができるということは、単純に素晴らしいことです。これまで英語業務に携わることができるのは、ごく一部の「英語を頑張ったことがある人」だけでしたが、文字通り誰でも精度90%の翻訳ができるというのなら、英語業務の属人化の問題はある程度解決できるでしょうし、何よりも機械翻訳による処理速度は業務のアジャイルさにも貢献するはずです。
しかしこのコインの裏には、「90%程度の精度ではいけない翻訳」を行うには人の手が必要であるという事実が隠れています。そして機械翻訳が出力できる90%の精度を遙かに上回り、また状況に合わせて出力に”創意工夫”ができるということは、英語力の中でもかなり上位に属する能力であると言えます。機械翻訳が仮に間違いを犯したり、状況にそぐわない出力をしたりしたとき、それを発見できるのは機械翻訳を上回る能力を持つ人間だけであるからです。
つまり、機械翻訳でできない仕事は、機械翻訳を遥かに上回る能力を持つ人たちに独占されることになるのです。このことは、これまでは「英語ができる・できない」というのは比較的緩やかなグラデーションであり、「英語ができる」というのは本当に少しでもできれば「できる側」に属していたのが、今後は「英語ができる」という言葉の意味が機械翻訳の90%の精度よりも上位であるということを表すようになるだろうということを表しています。「機械翻訳未満と機械翻訳以上」で「英語ができるかどうか」の明確なラインが引かれることになるのです。
ChatGPTはDeepLの轍を踏むか
前提としての機械翻訳の話が長くなりましたが、ChatGPTによって英語業務を代替させる場合にも同じことが言えるでしょう。ChatGPTの情報精度がどの程度であるかについてはこの記事の執筆時点ではまだはっきりとしたことは分かっていませんが、少なくとも100%ということにはならないはずです。つまり、ChatGPTに何らかの英語業務を行わせたなら、その出力についてはまだ人間が確認する必要があると言えます。そしてその確認を行えるのは、その出力について本来であればChatGPTよりも優れた出力を行う能力を持つ人間だけなのです。
仮にChatGPTの情報や出力の総合的な精度をXX%であるとしましょう。するとDeepLなどの機械翻訳と同じく、「誰でも精度XX%の業務を行うことができる」という表と「精度XX%を上回ること、あるいはそれ以外が求められる業務には専門性が求められる」という裏が得られます。
これはつまり、「ChatGPT未満とそれ以上」で、人材の価値が二分される可能性があることを示しています。
AIを越える能力が可視化された世界
仮に英語業務に限った話をするなら、ChatGPTを用いることで「誰でもある程度は自分で英語業務ができるようになる」ことは間違いなく、これはこれで素晴らしいことです。しかし、その内容がどの程度合理的であるか、どの程度正確であるかについては、ChatGPTの英語業務能力を上回る能力を持つ人間が確認しなければなりません。しかし、基本的なあらゆることがChatGPTで代替できるようになったとしたら、そうでない仕事を担う人間の相対的価値は高まることも期待できます。
これまでも「AIによって仕事が変わる」というようなことや「AIに代替されない仕事を」というようなことは言われてきました。こうしたfearmongeringな言説は業界の歴史や発展の経緯を無視していたり、「市場にある仕事の数には限りがある」という誤った前提に基づいていたりするものが多くありましたが、昨今のAIの進化により、逆に「AIにできるのはここまで」が可視化されつつあるようにも思います。つまり、「AIに代替されない仕事」がぼんやりと見えてきたのです。
もちろんそれは、「ある業界は全体が失われるが別の業界は残る」というようなことではなく、あらゆる業界に「ここまではAIで良い」という分水嶺が引かれるということです。言い換えれば、「機械翻訳と同程度の翻訳」しかできない翻訳者は、何らかの優位性を示さねば仕事を失うことになるかもしれません。これは「スマホで取れる程度のクオリティの写真しか撮れないカメラマンにわざわざ依頼したいとは思わない」のと同じです。
これによって起こるのは、上位10%の精鋭化です。
AIに使われる人とAIを使う人
AIは便利なツールであり、面倒事になっているプロセスを代替してくれるものとして今後も発展していくでしょう。そのプロセスの最後に責任を持つことができる人が、今後重宝されていくのではないかと僕は考えています。
また、こうしてAIよりも上に立った人々はもちろん、AIをより使いこなしていくでしょう。ChatGPTに出力された内容を盲目的に信じるしかない人よりも、その出力内容を吟味する、あるいは答えではなく考えるプロセスの一部をChatGPTに代替させるというような使い方をするような人は、それによってさらに能力を高めるであろうことが予想されます。
英語学習や英語業務について言うなら、英語学習の価値は今よりも相対的に上がるものの、求められるレベルも高くなることが想定されます。ただもちろん、英語を勉強しなくても90%の精度で仕事ができるとすれば、英語を勉強する時間を他のことに使った方が良い場合もあるはずなので、これは「選択肢が増えた」と言うこともできるはずです。
こうしてAIの能力に届いていない人とAIの能力を超えた人のギャップは大きく開いていくと考えられますが、もちろん、その「AI以上の能力」に市場がどれくらいの価値を実際に見出すかは別の話です。その価値を正しく判断するためにも、AIの能力を正しく理解し、正しく使っていくことが重要になるのだと言えるでしょう。
そして改めて、自分もAIを使う側であるために日々学びを欠かしてはいけないのだと襟を正す思いです。