トランスクリエーションとは何か

翻訳の世界には様々なアプローチが存在しますが、その中でも特によく比較されるのが「直訳」と「トランスクリエーション(transcreation)」です。では、これらの主要な違いとは何でしょうか?

この記事では、「直訳」と「トランスクリエーション」の違いを解説した上で、どういった場面でトランスクリエーションが必要であるのか、またトランスクリエーションのためにどういった技術が必要なのかについて解説します。一例として、Think Different や supercolorpixelisticXDRidocious(そしてその元ネタである supercalifragilisticexpialidocious)を取り上げてみましょう。


まず、「直訳」は文字通りの翻訳方法で、出発言語の文をそのまま目的言語に変換することです。直訳の目的は原文の “文字情報” を可能な限り忠実に再現することです。

一方、トランスクリエーションはクリエイティブなプロセスを含む翻訳方法であり、原文の意図、感情、スタイルを保持しながら、メッセージを新たな言語と文化のコンテキストに適応させるものであるとされるのが一般的です。つまり、単に文字情報を伝えるだけでなく、同じ影響力と感情をターゲットとなる読者に与えることを目指します。

たとえば、ある英語の広告スローガンが “Think Different” であるとします(これはAppleが1997年に実際に使用したキャッチフレーズです)。これを日本語に直訳すると「異なった方法で考える」などになりますが、これだけではその魅力的な響きや説得力を伝えることができません。なぜなら、本来であれば形容詞であるはずの different という言葉を Think という動詞と合わせて使っている点から、より標準的な言い方である Think Differently とは全く違う印象を与えることになっているからです。したがって、Think Different をもし訳すことになれば、いくつかの訳出例を挙げて、その中からターゲットとなる市場で最も効果的と思われるものを選ぶことになるでしょう。

ただ、トランスクリエーションと直訳、どちらが良いというわけではありません。その文書の目的や内容、ターゲットの読者によって最適な翻訳手法が変わるのです。

また、「直訳」と「トランスクリエーション」は、はっきりと二分できるものではありません。その両極の間はグラデーションになっていて、「直訳よりの翻訳」や「トランスクリエーション寄りの翻訳」も存在します。その意味では、敢えて「トランスクリエーション」という言葉を使う意味もないこともありますが、直訳と対比させる上で、便宜上、トランスクリエーションという言葉が用いられやすい傾向にあります。

トランスクリエーションの例

トランスクリエーションの一例として、Appleが “iPhone 13” のディスプレイに用いた “supercolorpixelisticXDRidocious” を考えてみましょう。

これはメリー・ポピンズという映画に出てくる世界でも最も長い英単語のひとつと言われている “supercalifragilisticexpialidocious” をもじったもので、この単語の意味は「とても素晴らしい」というようなことであると映画の中では説明されています。ちなみに単語の要素を分解してみることで、super-cali-fragilistic-expiali-docious のように分解が可能で、それぞれは語源を持ちますが、それが全体としての「楽しい気分」や「とても素晴らしい」という意味には寄与していません。

ただここで重要なのは、“supercalifragilisticexpialidocious” という英単語の意味というよりも、それが魔法のような素敵な呪文であるということ、またそれを言うことが楽しい雰囲気であることです。そして “supercolorpixelisticXDRidocious” には「とても色が綺麗で、ピクセルも細かく、XDRディスプレイを採用している」という情報が含まれており、かつこの supercalifragilisticexpialidocious という言葉の『楽しさ』が表現されているということです。

閑話休題、これを踏まえた上で日本語版のコピーを見てみると、「スーパーキラキラカラフルクッキリディスプレイ」となっていました。「楽しそうな雰囲気」は伝わりますし、「発色が良く、ピクセルが細かい(つまり画面がぼやけていない)」ということも伝わります。

ちなみに、この元々のキャッチコピーは supercalifragilisticexpialidocious という言葉を知らなければ意味が分からないこと、翻訳する際に原文を保持できないことから、ある意味ではユニバーサルなキャッチコピーではないという評価もできます。

トランスクリエーションがビジネスに与える影響

前述のように、翻訳という行為の本質的な限界はあるものの、今日のグローバル化したビジネス環境では、トランスクリエーションは企業が国境を越えて成功を収めるための重要な手段となっています。以下に、トランスクリエーションがビジネスにどのような影響を与えるかをいくつか示します。

1. ブランド認知度の向上

トランスクリエーションによって、メッセージがそれぞれの市場でより効果的に伝えられます。これにより、ブランド認知度と信頼性が向上し、消費者の関心とロイヤルティが増します。また、単純に原文をそのまま流用したり直訳的にしてしまったりするのではなく、その市場のために新たにトランスクリエーションをすることは、市場参加者をリスペクトすることにも繋がります。

2. グローバルな一貫性

トランスクリエーションは、ブランドのメッセージが全世界で一貫性を持ちつつ、地域の言語と文化に適応することを可能にします。これにより、ブランドのイメージと価値が一貫して伝わり、より大きな市場シェアを獲得するのに役立ちます。

3. ビジネスの成長

トランスクリエーションによって製品やサービスの受け入れ率が高まり、売上と利益が増加することが期待できます。新しい市場への進出を成功させ、ビジネスの成長を加速するための重要なツールとなるのです。

トランスクリエーションに必要な技術

トランスクリエーションにおいては、例えばコピーライティングなどに用いられるような発想力、創造力、クリエイティビティが求められることが珍しくありません。原文に縛られず、新たな表現を生み出すことが求められるからです。

しかし一方で、完全に原文を無視して良いわけでもありません。例えば全国展開している(あるいはそれを狙う)ブランドにとって、「日本でのキャッチコピーと海外でのキャッチコピーのイメージやメッセージ、言っていることが違いすぎる」というようなことがあれば、ブランドの一貫性が損なわれることになります。

こうしたことから、あくまで原文を理解し、『原文の何が良いのか』ということを踏まえた上で、それを反映した翻訳を行う必要があると言えます。そのためには、原文に対する文法的・言語的理解(前述の different を形容詞として用いていることへの理解など)はもちろん、ターゲットとなる市場の文化理解なども必要になります。

まとめ

トランスクリエーションは翻訳を成功させるための手法のうちのひとつとでも言うべきものであり、その意味ではローカリゼーションにも通ずるところがあります。重要なのはどういったメッセージを重要視して伝えるか、それをどのように言い換えるのがターゲットとなる市場において最適であるかの判断と言えるでしょう。

上記のように、トランスクリエーションは広告やキャッチコピーの場で言及されることの多い概念ですが、トランスクリエーションという概念が重要であることは翻訳が行われるすべての場において言えることでもあります。逆に言えば、必要に応じて「トランスクリエーションをしない」ことが大切ということもあります。単に「意訳が上手」であるとする翻訳者ではなく、その取捨選択や出力の調整を意識的に行うことができる翻訳者がトランスクリエーションにおいては求められると言えるでしょう。

Akitsugu Domoto

Translator, wordsmith, speaker, author and part-time YouTuber.

https://word-tailor.com
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