ローカリゼーションとは何か?

こんにちのグローバル化された世界では、製品やサービスを国境を越えて提供するためには、単なる翻訳だけでなく、更に進んだ対応が求められることもあります。そこで重要となるのが「ローカリゼーション(localization/localisation)」という概念です。

このローカリゼーションは特に翻訳において重要な概念として理解されつつありますが、「トランスレーション(翻訳)」と「ローカリゼーション」の違いは場合によっては分かりにくいところもあります。例えばよくある誤解は、「ローカリゼーションは通常の翻訳よりも優れている」というものです。

この記事では、ローカリゼーションとはどういった技術であり、どのような場面に重要になるのか、またポリティカル・コレクトネスとの関連性についても考えます。

ちなみに、ローカリゼーションについては YouTube でもまとめていますので、よろしければそちらもご参考ください。


翻訳(トランスレーション)とは何か

私たちが一般的に思い描く翻訳とは、ひとつの言語から別の言語への文字通りの言葉の変換を指します。その主な目的は、異なる言語を話す人々が共通の情報を共有し、理解し合えるようにすることです。

翻訳のプロセスには、原文を詳細に理解し、その意味を別の言語に正確に再現することが含まれます。これは必ずしも一対一の言葉の置換だけでなく、文化的なニュアンスや口語表現の理解も必要となります。翻訳はスキル、知識、精度を要する複雑なプロセスであり、訓練されたプロフェッショナルによって行われます。

こうした翻訳は、必ずしもひとつの『正解』があるものではありません。では何が翻訳の『良さ』を決めるのかということになりますが、そのひとつの指針が『妥当性』です。これは翻訳が行われる目的に照らし合わせてその目的が達成されているか(どの程度達成されているか)によって判断する考え方です。

例えばある英文を翻訳するとき、それが内容を楽しむ物語のようなことであれば原文に忠実でなくとも意味を重視して読みやすくする訳し方(意訳)が好まれることがあるかもしれません。しかし一方で、ある英文を翻訳する目的が「英語教材の例文への日本語訳」であれば、多少日本語が不自然でも英文の文構造に近づけた訳出(直訳)の方が学習者によっては「文法を比較して理解しやすい」と感じるかもしれません。

つまり、一概に意訳が良いというわけでも直訳が良いというわけでもなく、それはケースバイケースで判断されるということです。翻訳者はその判断を適切にする役割を担う専門家でもあります。

ローカリゼーションとは何か

ローカリゼーション(ローカライズ)の目的は、製品やサービス、コンテンツが特定の地域や市場に自然に適合するようにすることです。そしてこのプロセスには、言葉の直訳だけでなく、文化、習慣、価値観、法律、市場動向など、地元の文脈を包括的に考慮することが含まれます。これは、翻訳前の内容が現地の人に自然に受け入れられるとき、それが自然に受け入れられるための条件として、当然として了解されている文化や習慣、価値観などが含まれることがあるためです。

一例として、ゲームやソフトウェアを翻訳する際、ユーザーインターフェース、文字表現、グラフィック、デザイン、日付と時間の形式、通貨などを含む全体的なユーザーエクスペリエンスを特定の市場に適応させるのはローカリゼーションの一種と言えます。

ローカリゼーションは、広範で複雑なプロセスであり、多岐にわたる専門知識を要します。例えば、言語スキル、地域の文化に対する深い理解、マーケティング知識、技術的なスキルなどが求められますが、ローカライズされた翻訳は『自然なテキスト』として受け取られる傾向にあり、摩擦のないコミュニケーションの実現に繋がります。

ただし、「ローカリゼーション」が必ずしも翻訳よりも上位のスキル、あるいは概念ということではありません。あくまでローカリゼーションは翻訳の手法のひとつであり、ローカライズすることが翻訳の目的と比較して適切であるときに選ばれるやり方のひとつということになります。

例えば、ローカライズするということは、その分異国情緒が失われるということでもあります。海外を舞台にした物語など、異なる文化や考え方を下地とすることで『摩擦感』のようなものを楽しみ方の要素のひとつとするようなコンテンツの場合、ローカライズすることはそのコンテンツの価値を失わせることにもなります。このケースでは、敢えてローカライズせず、原文に流れている異国の雰囲気を維持することが求められるでしょう。

また、日本の作品を海外向けにローカライズする場合にも、同じことが言えます。例えば日本の文化の文脈で言えば自然に受け取られるものも、海外の文脈で言えば受け入れがたい内容になっているということがあり得ます。例えばそれはジェンダーに関することや、マイノリティ・グループへの配慮に関することかもしれません。

ローカリゼーションとポリティカル・コレクトネス

特にポリティカル・コレクトネスなどが重要な文脈では、ローカリゼーションを行うことが重要度を高めることがあります。特定のコンテンツにおいては、ある種の文脈を記号化することで前提が成り立っていたり、説明が簡略化されていたりすることもありますが、そのすべてが全世界的に受け入れられるものとは限りません。こうしたことから、ローカリゼーションのプロセスの中に、ポリティカル・コレクトネスの要素が入りこむことがあります

例えば、『職人技』という言葉を翻訳するとき、craftsmanship という英単語が想像されます。しかし、crafts-[man]-ship という言い方は、woman が含まれていないように感じるという人もいます。そこで、craftspersonship という言い方にした方が良いのでは、ということが検討されます。これが翻訳におけるポリティカル・コレクトネスの一例です。

しかし craftsmanship と craftspersonship を比較すると、明らかに前者の方がよく知られた言い方であり、一般的な検索数も多くなっています。それを踏まえて、また文脈や翻訳をする上でのブランディングを鑑みて、果たして craftsmanship を craftspersonship とするべきかどうかを判断するのが翻訳家の仕事です。

他の例として、日本の特にアニメやマンガ、ゲームなどのサブカルのコンテンツの価値は、特定の文脈の記号化の恩恵を大きく受けているということもあります。この文脈の記号化とは、例えば分かりやすいキャラクター造形や分かりやすいキャラクターの設計、あるいはそうしたシナリオなども含まれます。そうした単純化されたキャラクターやシナリオ、舞台設定は、時にステレオタイプさを感じさせることもあるでしょう。では、こういったコンテンツを海外市場向けに翻訳する場合、ローカリゼーションは必要なのでしょうか。

結論から言えば、これもやはり目的から逆算して判断するべきです。例えば翻訳後のコンテンツを楽しむであろうターゲットがそうしたステレオタイプに対して違和感や嫌悪感を覚えることが想定されるなら、翻訳する時点でそのような表現に変更を加えることが検討されます。しかしそれは、元々のコンテンツが持つ魅力を一部犠牲にすることと引き換えになるかもしれません。そのため、特にファンからは『原作とはまったく違う』や『原作を台無しにしている』といった批判が予想されるかもしれません。

一方、コンテンツを楽しむであろうターゲットがステレオタイプに対して『これはあくまでそういう物語の要素である』として楽しむことができ、現実と切り離して享受することを望んでいるなら、元々のコンテンツをそのまま翻訳し、ありのままを提供することが求められるということになります。その場合には、より特定のターゲットに向けたコンテンツということになるため、ゾーニングの必要が出てくることもあるでしょう。

いずれにしても、ポリティカル・コレクトネスが関連する場合においても、その妥当性の判断は翻訳の目的や、翻訳に触れることになるターゲットにどう感じてもらいたいかといったことから判断されることになります。ポリティカル・コレクトネスを意識することや、それに則った表現を心掛けることが、表現上伴うリスクを軽減することに繋がることもあるでしょう。しかしその一方で失われているものがある可能性を、常に考慮しなければいけません。これはどちらが良い・悪い、優先される・優先されないという話ではなく、ケースバイケースで、その都度判断しなければいけないことです。

もちろんこのことを言い換えれば、翻訳担当者が勝手な判断で「そうであるべき」という考えのもとですべてをポリコレ的スタンダードな表現に置き換えることは看過されることではありません。その判断は、ターゲットに対する印象予測、原作者の価値観や守りたい表現、ブランディング的視点、マーケティング視点、ゾーニングの可否など、様々な要素を考慮して決定されるべきです。

しかし、こうした主観的判断によって翻訳が歪められてしまうことは海外のローカライザーの一部では珍しいことではないらしく、非常に懸念される問題となっています。

まとめ

以上のように、ローカリゼーションは必ずしも『絶対的な答え』ではなく、あくまで目的に対して妥当であるかどうかで判断されるべき『翻訳の一手法』であることが分かります。言い換えれば、『海外市場に出すならローカリゼーションは必須である』という言説は誤りです。海外市場に出すからこそ、文化の輸出として、敢えてローカリゼーションをしないことが最適であると判断されることもあります。

これ以外にも、翻訳やローカリゼーションに関連して、例えばトランスクリエーションSEOといった技術が重要になることもあります。ただいずれの場合も、適切な手法を採択して翻訳することが重要であるということが共通として言えるのです。

ちなみに、翻訳とローカリゼーションを分けて、「ローカリゼーションをする上では翻訳は不要である」と主張するローカライザーも世の中には存在するようです。こうしたローカライザーは、機械翻訳を用いて、その出力結果の一部を(原文との比較ではなく)自分の感覚によって編集することをローカリゼーションであるとしているそうですが、これは決してローカリゼーションではありません。このようなローカライザーが存在することには注意が必要です。

Akitsugu Domoto

Translator, wordsmith, speaker, author and part-time YouTuber.

https://word-tailor.com
Previous
Previous

YouTube広告と翻訳字幕を用いて海外展開するには

Next
Next

SEOでよくある失敗について