Hollow Knight: Silksong の中国語翻訳はなぜ酷評か

以前に Still Wakes A Deep というゲームに方言が用いられた翻訳があった件について記事を書きましたが、またも海外作品の翻訳についてファンコミュニティで論争が沸き起こっています。今回の批判は人気シリーズの最新作である『Hollow Knight: Silksong』の中国語版に対するもので、日本語版の翻訳については一切問題がないのですが、翻訳者としての立場から見ると言及に値する一見だと思われたので備忘録として残しておきます。

今回、主に言及されている中国語版の翻訳の問題は次の通りです。


誤訳が多い、分かりにくい

僕は(まだ)中国語に堪能というわけではないので僕自身が『確かに』と確認できたわけではありませんが、英語の原文から中国語にする際に、いくつもの誤訳や、シリーズで通して使われている用語が無視されていた訳などが見られているようです。

例えば、Hornet という名前がついたカードの翻訳が “名为黄蜂” となっているのですが、これは日本語に直訳するなら『名前のある蜂』であり、Hornet(スズメバチ)とは異なるものです。黄蜂は英語にするなら wasp で、wasp は『スズメバチ』を含むより大きな蜂の種類を表しています。そのため、日本語にすると wasp も『スズメバチ』を含むことからややこしい面があるのですが、wasp と hornet ではイメージがまったく異なることを踏まえ、中国語訳でも Hornet は “大黄蜂” と訳されるべきであったと批判を受けているようです。

これ以外にも、翻訳それ自体が分かりにくくなっているところが多いともされています。この分かりにくさの原因は、次の理由にも関わってくるところなのかもしれません。

過度に古い・古典的表現

中国語版の翻訳について多く見られるのが、archaic 過ぎるというものです。元々原文にも少し古い言い回しが含まれるところはあるようですが、中国語版では全体的に言い回しが古くなってしまい、まるで安っぽい時代劇のような空々しさがあるという批判に繋がっています。

それも完成度が高いものであれば良いのですが、あまりに古くさい表現が使われているほか、古典的である部分と近代的である部分が混ざってしまっていて、テキストの意味を理解することそれ自体が難しいともされています。


翻訳者に帰するべき責任

本件について、まず、単純に誤訳やシリーズに統一するべき用語が統一されていないといった部分、単純に中国語の翻訳として不自然な点が多いとされる点については、翻訳者の落ち度と考えられます。これについては何も言うことがありません。

一方、古典的文調にしたこと自体については、それが作品の雰囲気に合っている(より正確に言えばユーザーが期待した雰囲気に合っている)ものであれば、受け入れられる可能性があったものと思います。しかし今回の場合、アルカイックなスタイルにしたことでゲームの雰囲気が損なわれ、かつ古い言い回しが多用されたことでゲーム体験が損なわれることにもなっています。加えてレビューなどを見る限りではそのスタイルというのも中途半端で、それ単体で見ても褒められたものではなかったらしいと言えるでしょう。

また、あくまでこうした表現の強い翻訳は、クラシックに位置づけられるスタンダードな翻訳があってこそ許されるものであり、期待されていた新作のオフィシャルな翻訳に用いるのはリスクが大きい判断ミスだったと言えます。例えばもっとシンプルで分かりやすい翻訳がオフィシャルに存在して、その後でMODやファンメイドとしてこの翻訳が出てきたなら、批判も今よりは少なかった可能性があるように思います。

総じてみると、今回の一件は『翻訳者が求められていた翻訳を提供できていなかった』という要約が可能であるかもしれません。なぜ『求められていた翻訳を提供できていなかった』のかについて考えるなら、過去の翻訳やシリーズに期待されていることが蔑ろにされてしまっていたから、言い換えれば事前の調査不足と、表現しようとした美辞麗句に対する現実のスキルとのギャップと言えるでしょう。


YouTubeで動画も公開されました。実際のレビューを読みつつ自戒しています。

Akitsugu Domoto

Translator, wordsmith, speaker, author and part-time YouTuber.

https://word-tailor.com
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